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霧島市隼人町にある富隈城跡のご紹介♪
今回は、霧島市隼人町住吉の富隈城跡についてご紹介します!!
富隈城跡は、霧島市隼人町にあった城跡です。
富隈城跡(現在は石垣のみになっております)
天正15年(1587年)に豊臣秀吉の九州征伐に破れた島津義久(島津家第16代目)は文禄4年(1595年)に強制的に隠居に追い込まれます。その際に、鹿児島の内城を去ることになった義久公が選んだ地は、ちょうど薩摩から大隅の境にあり、港が近くにある霧島市隼人町住吉の浜の市地区でした。
富隈城跡碑
城山(標高32メートルの小さな丘が後方にあります)
通常、島津家の城は裏山に後詰めの山城がありましが、富隈城に関してそれは無く、秀吉に恭順の意を表したとも、或いは秀吉に圧力を掛けられていたとも言われております。かつては堀があったとされておりますが、丘の上に屋敷がのっているだけで、防御面では非常に弱い城でした。慶年9年(1604年)島津義久は隣の国分に国分城を築いて移り、富隈城は廃城になりました。僅かな在城期間でしたが、城下の浜の市の港は整備され商人を招き、江戸時代には坊津、山川等と並ぶ薩摩藩内で栄えた港を一つになりました。
富隈稲荷神社(富隈城跡には神社が祀られてます)
築城の際に、島津家の氏神・稲荷神を勧請しました。
富隈城跡は現在NHKの隼人ラジオ放送所の電波塔が立っており、後方には錦江湾と桜島が見えます。
かの昔、島津義弘は富隈城から望む錦江湾と桜島を見ていたことでしょう。
施 設 名 :富隈城跡
所 在 地 :霧島市隼人町住吉(隼人ICより1キロ)
駐 車 場 :無料
イエステーション霧島店では、富隈城跡近くの物件が多数ございます。霧島市隼人町住吉は商業施設、病院など周辺に多数あり、とても生活しやすい環境となっております。
今回お届けしているイエステーション霧島店の管轄地域となります。
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